今日、うちのおとんの四十九日法要がようやく終わりました。
ちょっと今、一人でベロベロです。


ここに書くのはやめようかなー、と思ったけど。私には避けて通れない大事なことだし、やっぱり書いておくことにします。





亡くなったのは3月13日。午後3時5分。母と二人で看取りました。
やさしくて、強くて、アイデアマンで、心の広いおとうさんでした。


6年前に喉の癌がわかった時、ちょうど私が仕事を辞めようかな、と思ってた頃だったこともあって、私は実家へ戻り、また一緒に暮らしはじめました。
それから大きな手術が2回。放射線の治療や抗がん剤の治療など、弱音を一切吐くことなく受け続けました。しかも2回目の手術で声を失ったけど、機械を使って一生懸命みんなと会話してました。
もともとおとんはすごくやさしくて面倒見がよかったので、親戚や、とっくに退職したのにずっと同僚や後輩からも慕われていました。


いろいろなお医者さんに診てもらって、見事に全て治療さえも断られた時(今思えば「がん難民」だった)、さすがに家族全員落ち込んで、医者たちを本気で恨みました。
やっと引き受けてもらえるお医者さんと病院にめぐりあった時は、本当に踊るくらいうれしかった。
でも、はっきり余命を宣告されて、またみんなで落ち込んだり。


でもそのたびに、おとんは前向きに治療にはげんだし、家族でたわいもないことで笑ったり楽しく過ごしました。
温泉に行ったり、ドライブしたり、おいしいものを食べたり。
そして、本当にいろいろあって、考えられないくらい辛い日々があって、そして最期の日を迎えました。
最期は私のこともわからなくなってしまったけど、それでも毎日傍にいることができてよかった。


今は、普段はわりとフツーに暮らしてるけど、ふとしたときに思い出すと、やっぱり涙が出ます。
正直、ほぼ毎日泣いとります。もうホントにいないのかなあとか、なんでいないのかなーとか、寂しいなーとか、あの時こうすればよかったなーとか。孫の顔も、ダンナも見せることできなかったからね。私は本当に親不幸ものだ。。。
私にとっては、たった一人の理解者で、一番の応援団で。本当に大好きな大好きなおとうさんでした。


おとんが生きていた頃の私と、今の私は違うし、多分前の私に戻ることはできません。
でも、家族もおかんも私が守らなくちゃいけないし、せっかくおとんからもらった人生だから、頑張って生きてみます。
いつか、おとんに会う日が来たら、ぜーんぶ話してやろうと思います。


おとうさんの子供で幸せでした。本当にありがとね。また会いましょう!