「グーグーだって猫である」(ネタバレあり)

初日に観ちゃいました。珍しいですよー!たまたま時間があったからなんだけど。
大島弓子原作、「ジョゼ虎」「眉山」(←まゆやまじゃないよー)の犬童一心監督作品。
予告とか観てたら雰囲気が好きそうだったので行ってみました。



↓以下ネタバレ




全体の印象は“ピンボケ”かなー。
ほんわかしたムードと、意外にもファンタジー満載でいいっちゃーいいんだけど、あれもこれも手を出して浅めに取り上げて、結局麻子さんとグーグーの物語がボケちゃった気がしますね。
監督は「現実と非現実の境界があいまいになっていることがリアルだ、というつもりで撮りました。」「グーグー、麻子さん、ナオミさん……それぞれ一つずつ見せていって、最終的に俯瞰で見たときに全体として受け取れるものがあればいいなと思いながら作りました。」と言ってますが、それがかえってなんだかわからんことになってるのではないかと・・・
マーティ・フリードマンが外国語教師役で出ているのですが、完全にカメラ目線で、物語から外れた形で吉祥寺の街紹介をやるんですね。それはまあ百歩譲っていいんだけど、後半死神役で出てきちゃって(夢なんだけど)それがもうわけわからん。
しかも、マーティの街紹介+ナオミのモノローグ+麻子先生の独り言で、物語全体が誰の主観なんだかがわかりにくいんだよなー。。。
小泉今日子姐さん演ずる麻子さんがとても自然で、なおかつ女性一人で生きていく自由さと哀しさとせつなさが特になんていうわけでもなくにじみ出ててすごくよかっただけに(森四中もGOOD!)、もう少しあれもこれもをおさえて(ナオミとカレシの関係とかなんかは少しでよくて、どうせ留学させるなら、そこの決心にいたるまでに麻子さんの傍にいて自分には才能がないと悟るまで過程とか、そことは別にストーリーテラーとして麻子を見守るナオミの存在の方が重要だった気がする)、麻子さんの生き方そのものをじっくり観たかった気がします。


≪追加≫
グーグーで検索されていらっしゃる方も多いようで・・・
ナオミが麻子先生の告白を聞いて、アパートの外で号泣のシーンですが、何かで読んだんだけど、本当に泣いていたらしい。人は号泣すると、本当に「ふえーん」って泣くんですね。そして、そこでたった一言「なんで麻子先生なん・・・」という台詞があって、それはそれはもう、私としてはこの映画の中で一番グっときた台詞なんですけれども、それは上野選手が役になりきって言ってしまった、つまり台本にはない台詞のようなんですね。うーん、本当におそるべしな役者さんです。